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大阪地方裁判所堺支部 昭和61年(た)1号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実

公訴事実の要旨は、「被告人はV、W、Y及びXと共謀のうえ、

第一  昭和五四年一月二一日午後一一時三〇分ころ、大阪府貝塚市沢六二七番地先路上において、通行中のA子(当二七年)を認めるや、強いて同女を姦淫しようと企て、Vらにおいて、やにわに同女の腕をつかみ脇腹にカッターナイフを突きつけて道路脇の畑に連れ込み、パンタロン、パンティ等をはぎ取ったうえ、同市沢六二八番地の四の高松靖治所有の野菜ハウス内に連行してその場に仰向けに押し倒し、その手足を押さえつけるなどしてその反抗を抑圧し、V、Y、X、W、被告人の順に強いて同女を姦淫し

第二  右犯行直後、被告人が右A子と顔見知りであったところから、右犯行の発覚をおそれ、罪跡を湮滅するため同女を殺害してしまおうと決意し、起き上がった同女を再びその場に仰向けに押し倒し、X、Wらにおいて手足等を押さえ、V、Y及び被告人において腹部に馬乗りになるなどして両手指で頸部を扼圧し、よって、同女をして、即時、その場で窒息死させて殺害し

たものである。」

というものである。

第二本件事案の概要及び確定審公判に至る経緯

一  事案の概要本件犯行現場の状況などについて

関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。

1  農業を営む高松靖治は、昭和五四年(以下、年を表示せず月日のみを表示したものは、同年の月日である。)一月二二日午後零時一〇分ころ、前記公訴事実記載の野菜ハウス(以下「本件ビニールハウス」という。)内に女性(被害者)の死体を発見し、直ちに近くの自宅に帰り一一〇番に電話して右事件を通報した。そして、同日午後一時三〇分から司法警察員らによる実況見分が実施された。

2  本件ビニールハウスは私鉄南海電鉄本線二色浜駅(以下の駅名はいずれも同本線のそれをいう。)から北に目測約一五〇メートルの同線軌道敷の東側沿いに所在する。その東側はねぎ畑及び高菜畑であり、これを挟んで約二〇数メートル隔てた東側に南北に通じる市道があり、右市道は南方一〇〇メートル余りで東西に通じる二色浜駅前筋の府道と交差している。

3  本件ビニールハウスは、東側壁三八・八メートル、南側壁二四・六メートル、西側壁二四・五メートル、北側壁一七メートルの梯型のもので、高さ約二メートルの丸太を柱にして周囲(側壁)と屋根とにビニールが張り巡らされており、出入口は南側に二か所、北側に一か所あり、いずれも木枠にビニールが張り付けられた一枚戸が取り付けられ、これらは外側から横木を一本渡し閂にして戸締まりできるようになっている。そして、本件ビニールハウスは、春菊畑で南北に長く二〇畝とされ、一畝には三列に春菊が植えられており、背丈約八センチメートルに生長していた。

4  前記実況見分当時、被害者の死体は、本件ビニールハウス内の東南よりの春菊畑上に仰向けになり、下半身に着衣が無く、両袖に腕を通した赤色オーバーをその背中に敷き、両乳房と陰部を露出して、ほとんど全裸に近い姿で左腕を頭上に伸ばし、その上に左向きにした顔面を乗せ、右腕を右側方に伸ばし、左足はやや膝頭を折り曲げ、右足は股を開く形で膝頭を張って倒れていた。その顔面は、土をかぶったようになっており、目、鼻、口に土が詰まり、首筋や左右大腿部、陰部の上面にも多量の土が付着していたが、現場においては外見上外傷らしいものは認められなかった。死体の周囲の畑約二メートル四方が荒らされた状態であり、それも単に踏み荒らしただけでなく土をすくいあるいは掘り起こしたとみられる状況であった。被害者は赤色オーバーコート(以下「オーバー」という。)の外に、カーディガン、カッターシャツ、ブラジャー各一枚を着しており、カッターシャツのボタン三個がとれ、ブラジャーは前方の縫目が裂けてちぎれてた。

5  被害者の死体を解剖した結果、死体の前頸部に長さ三・〇センチメートル及び四・五センチメートルの線状の皮下出血があり、その周辺に砂粒大皮下出血が散在し、これらは指又は手などによる扼痕であって、被害者の死因は、頸部扼圧による窒息死である扼殺であると認められ、死後経過時間は、解剖終了時の一月二二日午後七時四〇分において大約二〇ないし二五時間くらいと推定された。また、被害者の膣内に精虫を証明し、死に近く姦淫されたものと認められた。

6  前記実況見分当時、本件ビニールハウスの東側の高菜畑の市道脇に被害者の所持品であると思われるショッピング用紙袋、赤色布製手提バック、ビニール手提袋各一個がかためて置かれており、また右高菜畑に被害者の下着と思われるパンタロン、パンティストッキング、パンティ各一枚、皮靴一足が一かたまりとなって遺留されていた。なお、一月二二日午前八時三〇分ころ、通行人が右高菜畑と東側市道との間の側溝から被害者の所持品と思われる茶色皮製ショルダーバッグ一個を拾得していた。

7  被害者は、A子(当時二七歳)であり、同女は、当日の一月二一日、実家である兵庫県伊丹市B方から当時居住していた大阪府貝塚市(以下「貝塚市」という。)に帰る途中、本件犯行現場付近を通りかかったものとみられる。なお、同女は、同日午後九時ころ、右B方を出発しており、伊丹市営バス、阪急電鉄、地下鉄(御堂筋線)、南海電鉄を乗り継いだものと思われ、その場合、二色浜駅に到着することができるのは、最も早くて午後一〇時三五分であり、被害者は右時刻以後に同駅に到着したとみられる。

二  確定審公判に至る経緯

関係証拠によれば、次の各事実が認められる。

1  被告人は、一月二六日午後八時ころ、被害者の内縁の夫であるEことF(以下「E」という。)に連れられて大阪府貝塚警察署(以下「貝塚署」という。)に出頭して、司法警察職員角谷末勝に取り調べられて本件犯行(ただし、自己の姦淫及び殺害の実行行為を除く。)を自白し(同司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書、甲二三五、甲は検察官提出の証拠であって、数字はそれに記載の証番号の意味である。以下の記載も同様である。)翌二七日午前二時零分ころ、同署において、司法警察職員に緊急逮捕された。その緊急逮捕手続書(甲三)によれば、被疑事実の要旨は、「被疑者V、同Z、同W、同X、同Yらは、通行中の女性を襲って強姦しようと共謀の上、一月二一日午後一一時四〇分ころ、貝塚市沢六三三番地の四先路上を通行中のA子(当時二七歳)を認めるや、V、Yの二人が同女の背後から近づきVが所携のカッターナイフを突き付けて脅迫し、西側の野菜畑に連れ込んで同女のパンタロン等を脱がせて裸にした上、他の被疑者らが待つ同市沢六二八番地の四の高松靖治所有の野菜ハウスの中に引きずり込み、Zが同女の左手、Yが首、Wが右足、Xが左足を押さえ付けてその反抗を抑圧した上、V、Y、X、Wの順に同女を次々と姦淫後、犯行の発覚をおそれたVが『殺してしまえ』と言った言葉に全員共謀して殺害を決意し、VとYが手で同女の頸部を扼圧し、そのころ同所において頸部扼圧により窒息、死亡するに至らせたものである。」というものである。そして、被告人は、司法警察職員角谷末勝に対する同月二七日付け弁解録取書(甲二三一)において、右緊急逮捕手続書記載の犯罪事実を認めたうえ、同職員北川幸夫に対する同日付け供述調書(甲二三四)において、自分が姦淫したことを含めて自白し、検察官に対する同月二八日付け弁解録取書(甲二三二)でも同様の自白をしているが、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書(甲二三三)では、被疑事実は間違いないと述べながら、自己が姦淫したこと及び首を締めたことは否定し、Vに誘われてついて行った旨述べている。その後、被告人は、捜査官に対し本件犯行を全面的に自白している(同職員に対する二月一日付け〈甲二三六〉、同月二日付け〈甲二三七〉、同月三日付け〈甲二三八〉、同月六日付け〈甲二三九〉各供述調書、検察官に対する同日付け供述調書〈甲二四四〉、同職員に対する同月八日付け〈甲二四〇〉、同月九日付け〈甲二四一〉、同月一〇日付け〈甲二四二〉各供述調書、検察官に対する同月一二日付け供述調書〈甲二四五〉、同職員に対する同月一五日付け供述調書〈甲二四三〉、検察官に対する一六日付け供述調書〈二通、甲二四六、二四七〉、検察官に対する三月六日付け〈甲二四八〉、同月七日付け〈甲二四九〉各供述調書)。

2  Vは、一月二七日午前五時五分、大阪府泉佐野市《番地省略》所在の第二甲野荘L方において、前記被告人の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時五〇分貝塚署に引致された。Vは、司法警察職員谷村安男に対する同日付け弁解録取書(甲一〇一)、同職員に対する同日付け供述調書(甲一〇四)、検察官に対する同月二八日付け弁解録取書(甲一〇二)、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書(甲一〇三)では、被疑事実を全面的に否認していたが、同職員に対する同月三〇日付け供述調書(甲一〇五)で本件犯行を自白し、その後も捜査官に対し全面的に自白している(同職員対する二月一日付け〈甲一〇六〉、三日付け〈甲一〇七〉、四日付け〈甲一〇八〉各供述調書、検察官に対する同月六日付け〈甲一一五〉供述調書、司法警察職員に対する同月九日付け〈甲一〇九〉、一〇日付け〈甲一一〇〉、一二日付け〈甲一一一〉、一三日付け〈甲一一二〉各供述調書、検察官に対する同月一四日付け供述調書〈甲一一六〉、同職員に対する同月一五日付け供述調書〈甲一一三〉、検察官に対する同月一七日付け供述調書〈甲一一七〉、同職員に対する同月二四日付け供述調書〈甲一一四〉)。

3  Wは、同年一月二七日午前四時、貝塚市加治《番地省略》所在の乙山食品寮内U方において、前記被告人の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前四時一五分貝塚署に引致された。Wは、司法警察職員浅田勇一に対する同日付け弁解録取書(甲一二〇)で本件犯行を自白し、その後も捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している(同職員に対する同月二七日付け〈甲一二三〉、検察官に対する同月二八日付け弁解録取書〈甲一二一〉、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書〈甲一二二〉、司法警察職員に対する二月三日付け供述調書〈甲一二四〉、検察官に対する同月六日付け供述調書〈甲一二九〉、同職員に対する同月九日付け〈甲一二五〉、一〇日付け各供述調書〈甲一二六〉、検察官に対する同月一三日付け〈甲一三〇〉供述調書、同職員に対する同月一五日付け〈甲一二七〉供述調書、検察官に対する同月同日付け〈甲一三一〉供述調書、同職員に対する同月一六日付け供述調書〈甲一二八〉、検察官に対する三月六日付け〈二通、甲一三二、一三三〉、七日付け〈甲一三四〉各供述調書)。

4  Xは、一月二七日午前五時一五分、大阪府岸和田市《番地省略》所在のC子方において、前記被告人の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時四〇分貝塚署に引致された。Xは、司法警察職員山之口公に対する同月同日付け弁解録取書(甲一三七)では、「一月二一日はにしきの浜の駅や海の方に行きました。言いたいことは只、申訳ありません。それ丈です。」とのみ陳述し、同職員成原明に対する同月二七日付け供述調書(甲一四〇)で本件犯行を自白し、その後も捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している(検察官に対する同月二八日付け弁解録取書〈甲一三八〉、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書〈甲一三九〉、同職員に対する二月一日付け〈甲一四一〉、同月三日付け〈甲一四二〉、同月四日付け〈甲一四三〉各供述調書、検察官に対する同月六日付け供述調書〈甲一四九〉、同職員に対する同月九日付け〈甲一四四〉、同月一〇日付け〈甲一四五〉、同月一一日付け〈甲一四六〉各供述調書、検察官に対する同月一三日付け供述調書〈甲一五〇〉、同職員に対する同月一五日付け供述調書〈二通、甲一四七、一四八〉、検察官に対する同月一六日付け〈二通、甲一五一、一五二〉、三月七日付け各供述調書〈甲一五三〉)。

5  Yは、一月二七日午前五時一五分、前記C子方において、前記被告人の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時四〇分貝塚署に引致された。Yは、司法警察職員角谷末勝に対する同日付け弁解録取書(甲一五七)では、アリバイを主張して被疑事実を否認していたが、同職員に対する同月二七日付け供述調書(甲一六〇)で本件犯行を自白し、その後も捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している(検察官に対する同月二八日付け弁解録取書〈甲一五八〉、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書〈甲一五九〉、同職員に対する二月二日付け〈甲一六一〉、同月三日付け〈甲一六二〉各供述調書、検察官に対する同月五日付け供述調書〈甲一六八〉、同職員に対する同月八日付け〈二通、甲一六三、一六四〉、同月九日付け〈甲一六五〉各供述調書、検察官に対する同月一一日付け供述調書〈甲一六九〉、同職員に対する同月一三日付け〈甲一六六〉、同月一五日付け〈甲一六七〉各供述調書、検察官に対する同月一五日付け〈二通、甲一七〇、一七一〉、三月六日付け〈甲一七二〉各供述調書)。

第三本件再審公判に至る経緯及び確定判決の要旨

一  本件再審公判に至る経緯

Vは、前記緊急逮捕にかかる事実に、前記A子を殺害後、同女所有の現金約九五〇〇円在中の財布を窃取したとの事実を付加されて、二月一七日大阪地方裁判所堺支部に起訴され、被告人、W、X及びYの四名は、当時一八歳の少年であったため、同日、家庭裁判所に送致された後、同月二七日、検察官送致の決定を受け、三月八日、同裁判所同支部に右事実(強姦、殺人の本件公訴事実)につき起訴された。被告人らは、いずれも公判廷において右公訴事実を全面的に争ったが、同裁判所同支部は、昭和五七年一二月二三日、右公訴事実(Vの窃盗の事実を含めて)を認めて、Vを懲役一八年に、被告人を含むその余の四名をいずれも懲役一〇年に処する旨の判決を言い渡した。被告人は右判決に対して控訴しなかったため、右判決が確定し(以下、この確定にかかる判決を「確定判決」という。)、服役することとなったが、同時に有罪判決の言渡しを受けたVら四名は、いずれも同判決を不服として、大阪高等裁判所に控訴した(同裁判所昭和五八年(う)第六〇五号事件)ところ、同裁判所(以下「控訴審」という。)は、昭和六一年一月三〇日、右四名全員について原判決を破棄し、無罪の判決(以下「控訴審判決」という。)を言い渡し、同判決は、検察官が上告しなかったため確定した。

被告人は、右確定判決に対し、服役中の昭和六一年六月二三日大阪地方裁判所堺支部に再審の請求をしたところ、同裁判所同支部は、昭和六三年七月一九日再審を開始する旨決定し、検察官は右決定に対し即時抗告をしなかったため再審開始決定が確定した。

二  確定判決の要旨

確定審において、前記公訴事実について認定した事実の要旨は、次のとおりである。

被告人、V、W、Y及びXは、遊び仲間であるが、

第一  共謀の上、南海本線二色浜駅で下車して来る女性を、貝塚市沢六二八番地所在の白色透明ビニールを張りめぐらした野菜ハウスに引っ張り込んで強姦しようと企て、昭和五四年一月二一日午後一一時三〇分ころ、右二色浜駅の東方約六〇メートルの距離にある三差路を北方へ左折して行くA子(当時二七歳)を認めるや、V及びYの両名において、同女を約一〇〇メートル追尾した後、Vにおいてやにわに同女の腕をつかみ、その脇腹に所携の長さ一二・四センチメートルのカッターナイフを突きつけ、同女に「止まれ。静かにせえ。」と申し向け、Yにおいて同女の腕を引っ張るなどして同女を道路左脇の前記ビニールハウスの東側に隣接する畑に連れ込み、右V及びYの両名において、同女のパンタロン、パンティ等をはぎ取ったうえ下半身裸の同女を右ビニールハウス内に連行し、同所で待機していた被告人ら三名も加わって同女をその場に仰向けに押し倒し、「助けて」と哀願する同女の首・手足等を押さえつけるなどしてその反抗を抑圧し、V、Y、X、W、被告人の順に強いて同女を姦淫した。

第二  右犯行直後、被告人ら五名は同女の身体から手を離したが、その際被告人は、同女が自己の近所の住人であり、同女とは顔見知りであることに気付いて驚愕し、他の四名に、「知っている姉ちゃんや。」と伝えたことから、Vは、右犯行の発覚を恐れ罪跡を隠滅するため同女を殺害してしまおうととっさに決意し、被告人ら四名に対し、「いってもうたれ。殺せ。」と指示したところ、被告人らも右と同様の動機から直ちに同女を殺害しようと決意し、ここに被告人ら五名は、共謀の上、口々に「殺せ。殺せ。」と言いながら、右言葉を聞いて起き上がろうとした同女を再びその場に仰向けに押し倒し、X、Wにおいて同女の頭髪、手足等を押さえつけ、Vにおいて同女の上に馬乗りになって、両手指で同女の頸部を絞め、続いてYにおいてVの左側からVとともにその両手指で同女の頸部を絞めつけ、更に被告人において同女の頸部扼圧に加わり、よって、即時、同所で同女を窒息死させて殺害した、

というものである。

第四本件の争点

被告人ら及びその各弁護人は、確定審、控訴審、請求審及び本件再審公判を通じて、①本件犯行と被告人らとを結びつける物的証拠はない。ことに被害者の膣内液などの血液型と被告人らの血液型とは一致しない。②被告人らの捜査段階における各自白調書における自白は、捜査官らの暴行、脅迫によるもので、任意性及び信用性がない。③被告人らにはそれぞれアリバイがある。旨主張している。

確定審は、右被告人ら及び弁護人らの主張を排斥し、前記第二の二の1ないし5掲記の被告人らの捜査官に対する供述調書を前記の認定事実の用に供している(ただし、各司法警察職員に対する供述調書は当該被告人だけの関係で証拠とされている。)が、それらの任意性及び信用性を認めたこと、ことに犯行と被告人らを結びつける物的証拠がないことや血液型が一致しないことについてなんらの説示をしておらず、アリバイの主張に対してのみその成立しない理由を説示するにとどまっている。

第五当裁判所の判断

確定判決において認定された事実、その証拠関係及びアリバイ主張に関する判示を総合して考案すると、本件の犯行に対する目撃者は無く、被害者も既に死亡しているので、確定判決が被告人について有罪認定した証拠のうち中核をなすものは、被告人の捜査段階における捜査官及び裁判官の勾留質問に対してなされた自白であって、それは、被告人と本件犯行を結びつけるものであるところ、確定審は、同自白の真実性は、相被告人らの検察官に対する各自白並びに第四回及び第五回公判調書中の証人Eの各供述部分、医師四方一郎作成の五月三一日付け鑑定書及び鑑定人松本秀雄作成の昭和五七年二月一五日付け鑑定書並びに第六回公判調書中の証人四方一郎の供述部分によって裏付けられるというように考えたものの如くである。しかし、被告人の捜査官に対する自白は任意性に疑いがあるうえに信用性も乏しく、他の共犯者の検察官に対する自白は信用性に乏しいものであり、また、右各鑑定内容は確定判決のような認定を積極的に裏付けるものではなく、消極的にそのような認定を妨げず、同認定に不合理性はないとする消極的な機能をもっているにすぎないものなのである。以下に、その点についての当裁判所の判断を示すこととする。

一  本件犯行と被告人らを結び付ける物的証拠の不存在について

1  被害者の膣内に遺留された精液、被害者が着用していたオーバーに付着した体液及び被害者の乳房に付着した唾液の血液型について

(一) 膣内液の血液型について

(1) 松本秀男作成の鑑定書(乙一四、乙は弁護人提出の証拠であって、NOと記載のあるものを意味する。以下「松本鑑定書」という。)によれば、被告人の血液型は、AB型でSe(分泌型)、VとWは、B型でSe(分泌型)、Yは、AB型でSe(分泌型)、Xは、A型でSe(非分泌型)であることが認められる。また四方一郎作成の五月三一日付け鑑定書(甲六、以下「四方第一鑑定書」という。)並びに証人四方一郎の確定審第六回公判における証人尋問調書(甲九三)及び同証人控訴審第二回公判における証人尋問調書(甲九六、以下、証人尋問調書のことを単に「証言」という。)によれば、同人は、一月二二日午後四時三〇分ころから午後七時四〇分ころまで被害者の解剖をし、その際、同女の膣内から膣内液を採取するため、土砂の混入していない膣の奥の部分をガーゼで拭き取り、そのガーゼで採取された同液から精虫が検出され、精液の混在する同膣内液の血液型が、被害者と同じA型でSe(分泌型)を示したこと、このように体液から血液型が判定できるのは分泌型であること、そして、被害者の死体は、腐敗がなく、同女の死亡推定時刻は、解剖終了時を基準として約二〇ないし二五時間前(同月二一日午後六時四〇分ころから午後一一時四〇分ころまで)であって、その死亡に近い時間に姦淫され、殺害されていることが認められる。そして、翌二二日の午後一時三〇分ころからなされた司法警察職員らによる実況見分の際における被害者の死体の状況は前記第二の一の4に認定したとおりである。

(2) 船尾忠孝外一名作成の依頼鑑定書(乙二三、以下「船尾鑑定書」という。)及び請求審における証人船尾忠孝の証言(乙五二、以下「船尾証言」という。)によれば、本件では血液型物質に影響する可能性を有する有機質が含まれている畑の土砂が被害者の膣内に入っていたが、同土砂による膣内液の血液型物質に対する影響及び腐敗による影響の可能性は、膣内液の採取が土砂の混入していなかった膣の奥の方からなされていることやその死体の放置の状況、すなわち、暖房施設のないビニールハウス内の厳冬期の深夜から午前中でその環境温度が低かったことなどの事情からすると、全くないとは言えないもののいずれも極めて低いことが認められる。

そして、右船尾鑑定書及び船尾証言並びに法医学の基礎知識・吉田莞爾著(乙二五)、法医学・改訂増補第三版・松倉豊治編著(乙二六)、標準法医学・医事法制(乙二七)、法医学・宮内義之介著(乙二八)、学生のための法医学・城哲男外著(乙三四)、法医学・増補第二版・松倉豊治編著(乙三五)、犯罪学雑誌第二三巻第三号(一四〇ないし一四四頁、乙四八)及び法医学・何川凉著(乙四九)(以上書証はいずれも写)によれば、性交後の膣内液から精液の血液型が検出される時間は、精液の射精量や性交後から殺害までの時間の長さ、死体の環境温度、そして、死亡後の時間などの要因によって左右されるものの、一般的に生体の場合よりも死体(性交後間もなく死亡した場合も含む。)の方が長くなると考えられており、生体の場合でも二日以内であれば、精液の血液型の検出が可能であることが多く、船尾証人の経験によれば性交後間もなく死亡した場合であれば死亡後二日以内であれば、精液の血液型の検出が可能であったこと、年齢や健康状態によって多少相違があるものの性交時に女性が出す膣液の量は、約〇・五ミリリットルであるのに対し、男性が射精する精液の量は、その四ないし十数倍である約二ないし六ミリリットルであることが認められる。

(3) ところで、被告人及びV、W、Y、Xはいずれも全員が被害者を姦淫して膣内に射精したと捜査段階で自白しているところであり、もしそのとおりであるとすると、被害者の膣内液は被害者の膣液と被告人らの精液が混在したものとなるから、膣内に混入した土砂や腐敗による影響のほとんど考えられない本件において、被害者の膣内液は、少なくとも非分泌型のXを除く被告人らの血液型であるAB型ないしB型(いずれも分泌型)を示さなければならないのに、これを示さずにA型でSe(分泌型)を示しているのであるから、この事実は、被告人らが被害者を姦淫して射精していないことを示唆するものであって、この点から、まず被告人らの自白には真実性がないのではないかという疑問を生じる。

また、前記確定審及び控訴審における四方証言(甲九三、九六)によると、同証人は、「五人もの人が射精したにしては、被害者の膣内における精液量が少ない。」旨供述しているが、通常の性交時における男性の精液量及び本件では被告人を含めて五人が射精したということから考えると、たとえ精液が膣外へ流出し、同女の膣内に土砂が混入していたことを前提としても、被害者の膣内の精液量が少ないということは、被告人らが被害者を姦淫して射精していないのではないかということを示唆するものといえる。

もっとも、控訴審第一〇回公判における証人勝連紘一郎の証言(甲九五、以下「勝連証言」という。)によれば、同証人は、「死体の場合には、性交後五〇時間までは膣内精虫の検出が可能であるが、精液の血液型については、性交後二〇時間以上経過すると検出することが非常に困難であり、生体の場合には、性交後一六時間以上経過すると膣内精虫の確認が困難となり、また、一二時間以上経過すると精液の血液型は検出されず、膣液の血液型のみが検出される。なお、前記死体の場合の膣内精虫、精液の血液型の検出時間は、死体を資料とする千葉大学法医学教室木村康の『膣内容中精液の証明可能期間について』と題する論文に基づくものである。」旨供述している。

しかし、前記船尾鑑定書及び船尾証言によると、勝連証言の基礎となっている右千葉大学法医学教室木村康の論文(乙二四)は、昭和四〇年二月二七日開催され同証人も出席した「関東法医懇話会」において、死体三二例(生前夫との性交渉が明らかにされたもの)、生体三九二例(うち膣内容を検体したもの一三四例)を基礎としてほぼ生体例の膣内容中の精液の血液型検出期間を発表したものの抄録であり、木村康と同じ千葉大学法医学教室の宮内義之介が東京高裁に鑑定人として依頼されて作成した鑑定書の写(乙二二)によっても「当教室の助教授木村康の研究によれば、生体膣内における精子の証明期間は最高五〇時間、精液の血液型判定可能期間は最高二〇時間となっている。」と同論文の発表内容を生体例のものと紹介、引用されていることを認めることができる。そうすると、勝連証言は、その基礎とする資料の評価が正しくないのではないかと思われるので、同証言は相当でなく、本件においては、被告人らの自白による姦淫の後一七時間(解剖開始)ないし二〇時間一〇分(解剖終了)の間に膣内容液が採取されているのであるから精液の血液型の検出は十分可能であるものと思われる。

(二) オーバー付着の体液の血液型について

(1) 前記勝連証言及び勝連紘一郎作成の鑑定書(甲一七、以下「勝連鑑定書」という。)によれば、被害者が本件の当時着用していた赤色のオーバーの裏地の裾中央付近に人蛋白の証明が得られた手拳大の体液斑痕があり、そこから多数の扁平上皮細胞に混じった精虫が一匹確認され、その体液の血液型は、A型でSe(分泌型)を示したこと、扁平上皮細胞は、膣内の粘膜はもちろん、男性の尿道や亀頭の粘膜からも出ること、膣内の粘膜のものであることを確認するためにはルゴール反応の検査を要するが本件ではこれがなされていないことが認められる。

(2) 被害者が本件の当時着用していた赤色のオーバーに付着していた精液を含む体液は、オーバーをその体の下に敷いていたもののほとんど全裸の状態であった被害死体の状況、精液を含む同体液斑痕の状況、そして、被害者の膣内に精液が認められることからして、本件の犯行の際に付着した可能性があり、血液型からみて同体液に含まれる精液は非分泌型のXを除く被告人らの精液である可能性はない。したがって、前記(一)で述べたのと同様に、ここでも、被告人らの自白の真実性に疑問を生じしめるとともに、さらに、そのような事実は、同人らが被害者を姦淫して射精していないことを示唆しているものというべきである。

(三) 被害者の乳房に付着していた唾液の血液型について

泉政徳作成の検査処理表の写(甲一八)及び控訴審第三回における泉政徳証言(以下「泉証言」という。)によれば、被害者の左右の乳房をふき取ったガーゼ片からアミラーゼ検査によって得られたプチアリン反応により、人の唾液付着の証明が得られ、同唾液の血液型は、いずれもA型のSe(分泌型)を示したことが認められる。

被告人らはいずれも被害者の乳房をなめたり、吸ったりした旨の自白をしており、前記四方第一鑑定書(甲六)によれば、被害者の左乳房の乳嘴には咬傷が存したことが認められるので、自白のとおりであるとすると、右ガーゼ片付着の唾液からはXを除く被告人らの血液型が検出されるはずであるのに、A型のSe(分泌型)しか検出されていないのであるから、被害者の乳房に付着する唾液は被告人らのものではないといわなければならない。このことは被告人らが被害者の乳房をなめたり、吸ったりしていないことを示唆している。

以上(一)ないし(三)のとおり、被害者の膣内に遺留された精液及びオーバーに付着した精液並びに乳房付着の唾液からはA型Se(分泌型)しか検出されていないことは被告人らが被害者を姦淫していないことを示唆しているとともに、いずれも被告人を含む確定審の被告人らの被害者を姦淫したという自白の真実性に対して強い疑問を生ぜしめるものである。

2  本件犯行現場に遺留された指掌紋、足跡痕及び土砂並びに毛髪について

(一) 指掌紋、足跡痕及び土砂について

司法警察職員作成の一月二九日付け実況見分調書(甲四)、同職員作成の「貝塚警察署管内発生輪姦殺人事件現場採取資料結果に対する復命」と題する書面(甲四三)及び控訴審第六回公判における武内勝春証言によれば、一月二九日の実況見分の当時、本件ビニールハウスとその東側の市道との間には、約四〇センチメートルに成長した高菜と約六五センチメートルに成長したねぎの各畑には、それらを踏み倒した一本の人が通行した痕跡が残っており、その幅が約五〇ないし六〇センチメートル、長さ約二八・三メートルであり、その痕跡は東側市道からビニールハウスの東壁の破れ穴に向けてほぼ一直線に延びてきてねぎ畑の西端のあぜ道に達していること、また、警察の鑑識係員によって被害者の死体があった同ハウスの内外で指掌紋や足跡痕が採取されたが、その際、同ハウスから指紋が二個、被害者の遺留品から指紋が三四個、掌紋が一個採取され、また、同ハウス内から三三個、同ハウス側の周辺の畑などから二〇個の足跡痕が採取されたこと、右採取された指紋のうち対照可能なものは八個で、それらはいずれも被告人らの指紋と一致しなかったこと、そして、右採取された足跡痕も同人らが本件の犯行当時はいていたとされる履物と一致したものがなかったことが認められる。被告人らは、VとYが両側から被害者を中に挟むようにして畑を通って被害者を同ハウスに連れ込み、そこで同女をVら五人で姦淫し、殺害した旨自白しているほか、指掌紋が採取された被害者の荷物について、被告人の司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付け供述調書(一二枚綴りのもの、甲二三五)には、「Vが一人で畑の中に入って行き、Yの投げた被害者の鞄や紙袋を両手でかかえて同ハウスの中に持って来てその中を調べたりし、そのあとYにそれらを市道のところまで持って行かせた。」旨、そして、検察官に対する同月六日付け(甲二四四)、同月一二日付け(甲二四五)並びに司法警察職員に対する同月三日付け(甲二三八)及び同月一〇日付け(甲二四二)各供述調書には、「被告人がVから指示され、被害者の荷物を取ってきてVに渡したところ、同人がその荷物を手にしたり調べたりし、その後被告人が元の場所に戻した。」旨供述し、V及びYも同様の供述をしているところであって、被告人らの右供述のとおりであるとすると、同人を含む五人の者が同ハウスの内外を歩いているはずであるから、たとえ被告人らの各自白するとおり同ハウス内の足跡を消したとしてもこれを完全に消し去ることは困難でなお若干のものが残っていた可能性があったはずであるし、同ハウスの外には当然その足跡が残っているはずと思われるのに、同人らと一致する足跡痕が発見されていない。また、指掌紋についても、被害者の遺留品から少なくとも被告人ないしVあるいはYの指掌紋が発見されるはずであるのに同人らと一致する指掌紋が発見されていない。

さらに、藤本宣國及び木村重雄共同作成の鑑定書によれば、本件犯行当時履いていたとされる被告人のつっかけ草履に付着の砂と本件現場付近の土壌とは相違することが認められる。

以上のとおり、右被告人らの指掌紋、足跡痕がなに一つ発見されていないということと被告人のはいていた草履の砂と本件犯行現場の土壌とが相違するという右事実は、被告人らと犯行との結びつきを積極的に立証できないというだけでなく、むしろ被告人らが犯人でないことを推測させるものであり、被告人らの右供述は、その真実性に疑問が残る。

(二) 毛髪について

瀧川昭二作成の三月一四日付け鑑定書(甲四〇)によれば、被害者着用の赤色オーバーに頭毛五本及び陰毛一本が遺留されていたが、右頭毛一本がV又はWのものと推定するとの鑑定がなされ、また同人作成の同月二〇日付け鑑定書(甲四一)によれば、被害者着用のパンタロンに頭毛一本が付着し、高菜畑から頭毛一〇本及び陰毛三本発見されたが、右パンタロン付着の頭毛一本がWの頭毛に類似するとの鑑定がなされたことが認められる。しかしながら、右各鑑定書及び同人の確定審第四回公判における証言によれば、右鑑定は、毛髪の血液型、染色の状況、硬さなどを総合して判定したという程度のものであり、同一性の判定はさほど厳格なものではないことが認められ、また、松本秀男作成の追加鑑定書(乙一五)によれば、本件の犯行の現場に遺留された毛髪の一部につきV、Wのそれとの相似性が認められるものの、それらからの異同の決定(個体の識別)は困難である旨の鑑定がなされていることから考えると、本件犯行現場に遺留された毛髪がV及びWのものであるとは断定することはできず、右毛髪は、本件犯行と被告人らを結びつける証拠とすることができない。

二  被告人の自白の任意性について

1  被告人のEに対する自白の任意性について

本件犯行につき、被告人らに対する捜査が開始されたのは、前記第二の二の1記載のとおり、被告人が一月二六日午後八時ころ、Eに連れられて貝塚署に出頭したことに端を発するのであるが、被告人はこの時すでにEに対して、自分は実行行為に荷担していないが、Vらとともに本件犯行に及んだ旨の自白をしているので、まずその任意性について検討する。

Eの司法警察職員に対する供述書の写二通(乙一二七、一二八)及び同人の確定審第四回(甲一七七)、第五回(甲一七八)公判における各証言並びに被告人の確定審第三四回(乙八四)、第三九回(乙九一)、控訴審第七回(乙一一一)各公判及び請求審(乙五七)における各供述によると、以下の事実が認められる。すなわち、Eは、内妻のA子が本件犯行の被害者になったため、犯人が近所の者ではないかと心当たりを探していたところ、一月二三日路上で以前から顔見知りの被告人と顔を合わせ、また翌二四日被告人を自宅に連れて行ったときの被告人の態度から被告人が犯人ではないかとの疑いを持つに至った。そして、同月二六日午後六時過ぎころ、貝塚駅前で張り込んでいて被告人に出会い、喫茶店に連れ込んで被告人に対し本件犯行につき尋ねたが、被告人が自白しなかったため、さらに被告人を貝塚駅の西方にある脇浜の海岸に連れて行き、更に追及した結果、被告人が本件犯行を自白した。その内容は、一月二一日の夜、V、W、Y、X及び被告人が貝塚駅前から二色の浜公園(海岸)をぶらぶらした後、本件ビニールハウスに行き、同所で女性を姦淫することにし、VとYがカッターナイフを突き付けて被害者のA子を本件ビニールハウス内に連れ込み、被告人を除く他の者がVから順番に同女を姦淫し、同女が抵抗したので、Vが殺せと言い、同人とYが同女の首を絞めて殺害したが、その際被告人は同女の手を押さえ付けていただけであり、右殺害後皆で同女に砂をかけて埋め、足跡を消し、Vが同女の財布を取った後、全員がその場から逃げ、被告人はVと二人で羽倉崎の友達の家に行って泊まった、というものであった。Eは、被告人が自白をしたので、被告人を自宅に連れ帰り、同様の自白を確認した後、Eの手帳(昭和六三年押七五号の6)に「VとYがナイフを被害者に突き付け、本件ビニールハウスに連れ込んで、V、Y、X、Wの順番に姦淫し、その後その四人で被害者を殺害した」旨書かせたうえ、血判を押させたことを認めることができる。

他方、被告人は前記各公判において、被告人がEに右自白をした状況について、「自分は、Eから喫茶店で本件犯行につき尋ねられて、知らないと言ったところ、殺すぞと脅され、さらに脇浜の海岸に連れて行かれて、同所でも本件犯行をしていない旨答えると、同人から顔を三、四回殴られ、ナイフか包丁を突き付けられて脅され、殺されるかもしれないと怖くなったので、同人が聞いて来ることに次々と思いつきで嘘を自白した。自分以外の四名の名前を言ったのは、誰と遊んでいたかと聞かれたからである。手帳の血判は、同人からナイフか包丁で右手の人差指を切られて押さされたものである。」旨Eから暴行、脅迫を受けたことを一貫して述べている。これに対し、Eは、確定審公判において、「脇浜では被告人の顔を一回殴っただけである。そのとき、自分はナイフなど持っていなかった。手帳の血判は、被告人が自分で指を切って押したものである。」旨証言し、被告人の供述との間に食い違いをみせている。

ところで、被告人に対する大阪家庭裁判所堺支部昭和五一年少第一二四一号、昭和五四年第三七七号保護事件の少年調査記録(乙五三)によると、被告人の知的能力は優れておらず、国語の基礎学力が皆無に等しく、そのころの被告人の精神内容は、空虚で、現実に対する把握が未熟で安易であったことがうかがわれるところであって、被告人がEに対し自白するに至った経緯、動機、状況が異常かつ特異なものがあることから考えると、被告人のEに対する自白は同人に強要されたもので、任意になされたものでない疑いを容れる余地がある。

2  被告人の捜査官に対する自白の任意性について

被告人は、前記各公判及び確定審第一〇回(乙六二)、第一一回(乙六三)各公判において捜査官による取調状況につき、「一月二六日夜、前記のように手帳に署名と血判をさせられた後、Eに連れられて貝塚署へ出頭し、小さな取調室で五、六人くらいの警察官から『お前ビニールハウスやったやろう。』と言われ、やってないと答えて二、三〇分くらい黙っていたら、警察官からもうこっちでちゃんと分かっているんだと言って、平手で殴られ、頭を壁にぶつけられ、足を踏まれるなどの暴行を受け、仕方なく、V、W、X及びYの四人が被害者を強姦し、殺害した旨Eに述べたと同様のことを自分の思いつきでしゃべった。自分はやっていないと言っていたが、調書をとられて逮捕された。逮捕されてからも、その日に、髪の毛を引っ張られたり、蹴られたり、頭を壁にぶつけられたり、殴られたりされ、怖かったので自分もやったことを認めた。これら暴行をした警察官の名前は分からない。その後、同月三〇日ころ暴行を受け、その後も警察で毎日のように同様の乱暴を受けた。乱暴をしたのは自分を取り調べた刑事である。河原刑事に殴られたり、髪の毛を引っ張られたりしたことがある。その間面会に来た弁護人に対し、警察官から乱暴を受けていること及び犯行をしていないが怖いから否認できない旨述べたことがある。検察官の取調に対しては、警察が怖いので警察で述べたとおりを述べた。二月六日の検察官の取調べを受けて帰る自動車内で警察官から『お前はまだ正直に言っていない。』と言って殴られ、また、同月一六日の検察官の取調べを受け警察に帰ってからも同様に言われて殴られた。」旨供述している。これに対し、当初被告人の取調べに当たった司法警察職員角谷末勝の確定審第二〇回公判における証言(甲二一八)によると、同人は、「一月二六日貝塚署で被告人が出頭して来たことを知っていただけでEとどのような経緯があったのか知らなかった。先入観なしで被告人に対し本件犯行について尋ね、同人は普通の状態で供述した。同人を逮捕するまでの間に、同人に対し、自分らが暴行を加えた事実はない。」旨供述している。しかし、Eの前記証言によれば、同人は、被告人を連れて貝塚署に出頭した際、被告人に血判を押させた前記の手帳を持参し、警察官に一、二時間話をしたことが認められるのであって、Eが長時間話をした警察官を特定できないとしても、本件のような重大事案について右角谷がEが被告人を連れてきた経緯を知らないまま同人の取調べに当たったということは不自然であり、角谷の被告人の取調べ状況に関する供述は信用できない。さらに、前記第二の二の1で認定したように、被告人は、逮捕された後司法警察職員北川幸夫に対する一月二七日付け供述調書(甲二三四)及び検察官に対する同月二八日付け弁解録取書(甲二三二)では自己の姦淫行為を認めながら、裁判官の同月二九日付け勾留質問調書(甲二三三)では、なお自己の姦淫行為を否定しているところであり、かような点をも併せて考えると、被告人の取調べ当初から引き続き暴行を受けていた旨の前記供述を虚偽であるとして排斥できないというべきである。

そうすると、被告人の司法警察職員に対する自白の任意性については疑いがあるといわなければならない。そして、警察署において暴行を受けただけでなく、検察官による取調後警察署に連れ帰られる際、その取調べにおける供述を非難され、暴行を受けている疑いがあることに照らすと、検察官が被告人に対し直接暴行、脅迫を加えた事実がないにしても、被告人の検察官に対する自白は警察官による影響が遮断された状況の下でなされたものとは認められず、その任意性についても疑いがあるというべきである。また、その間になされた被告人の勾留裁判官に対する自白についても同様である。

三  被告人らの捜査官に対する自白の信用性について

本件犯行と被告人らを結び付ける物的証拠はなく、血液型の相違すること、指紋掌紋足跡痕が発見されていないことが、かえって被告人らの捜査官に対する自白の信用性を否定すべき根拠となるものであることは、第五の一の1及び2においてすでに述べたとおりである。さらに、その他の点についても被告人らの捜査官に対する自白は、本件犯行に関し枢要な点において看過し難い主要な供述内容の変遷、供述内容それ自体の不合理、不自然なものがあり、信用性がないものである。すなわち以下のとおりである。

1  被告人の捜査官に対する自白の信用性について

(一) 本件ビニールハウスの二か所のビニールの破損について

司法警察職員作成の一月二九日付け実況見分調書(甲四)によれば、同月二二日の実況見分の当時、本件ビニールハウスの東側の壁の東南部にあたるビニール部分に地上から約五〇ないし四五センチメートルの高さのところに、そこから縦一二ないし二二センチメートル、横六〇センチメートルの破損が一個あり、また、その北側の壁の東にあたるビニール部分にも、地上から約四〇センチメートルの高さのところにそこから縦最大二五センチメートル、横六三センチメートルの破損が一個あり、いずれも人一人が出入りできる程度のものであったこと、その各破損の状況は、前者は、その破損箇所上縁がほぼ直線に左右に切れていて破れたビニールの大部分が下に垂れ下がっていること、それに対し後者は、破損箇所が四方に押し広げられたような状態で破れたビニールが四方に広げられていることが認められる。

右二か所のビニールの破損に関する被告人の捜査段階での供述には、後記のとおり変遷がみられるものの、右二か所のビニールを破損した状況について、被告人は、司法警察職員に対する二月九日付け供述調書(甲二四一)では、「一人で同ハウスに行き、その東南部にあたる東側の壁のところで二本の指先をビニールにギューと押し付けると、穴が開き、その破れ目に両手を突っ込み、両方に開くようにして穴を開けて、そこから頭を突っ込み、はうようにして中へ入った。そして、同ハウスの北側の壁のビニールも右東南部にあたる東側の壁のビニールを破ったと同様の方法で破り、そこから頭を突っ込み、はうようにして外へ出た。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付け供述調書(甲二四五)では、「右二か所とも同じ方法で開けた。」旨供述している。しかしながら、右二か所の破損状況は、同じ方法で破ったものとしては相違があり過ぎるうえ、東南部にあたる東側のビニールの破損は、右供述のように二本の指先を押して穴を開けるような方法では生じ難いものと考える。そうすると、被告人のビニールハウスを破損して穴を開けた状況に関する右供述は、現場の客観的事実に符合せず、その真実性に疑問が残る。

(二) 高菜とねぎの各畑に残っていた痕跡について

前記実況見分調書(甲四)によれば、一月二二日の実況見分の当時、同ハウスとその東側の市道との間には、約四〇センチメートルに生長した高菜と約六五センチメートルに生長したねぎの各畑があったが、その各畑には、前記のとおりそれらを踏み倒した一本の人が通行した跡とみられる幅約五〇ないし六〇センチメートル長さ約二八・三メートルの痕跡が残っており、その痕跡は東側市道からビニールハウスに向けてほぼ一直線に伸びてきてねぎ畑の西端のあぜ道に達し、その延長は同ハウスの東側のビニールの破れ穴に向かっていることが認められる。右痕跡について被告人は、司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(一二枚綴りのもの、甲二三五)では、「Vが被害者の女の人の左腕を片手でつかみ、もう一方の手でカッターナイフを同女の背中に突き付け、Yが同女の右腕を両手でつかんで右畑の中を三、四歩、歩いた時、VとYが無理矢理同女のズボンなどを脱がしたりし、その後右同様の態様で同女を同ハウスまで連れて来た。」旨供述し、同職員に対する二月二日付け供述調書(甲二三七)では、「菜畑の真ん中辺りで被害者が大声をあげて逃げようとしていたのをVとYが押し倒し、そこで被害者はいつのまにか下半身が裸となっており、その場でVが同女を強姦しようとしたが同女が激しく抵抗したため諦め、そのあと右畑の中をVが被害者の女の人の左肩を片手でつかみ、もう一方の手で何かを同女の背中に突き付け、Yが同女の左腕を両手でつかんで同ハウスまで突いたり、引っ張ったりして歩いてきた。」旨供述し、また、同職員に対する同月九日付け供述調書(二四一)では、「VとYの二人は、被害者の女の人を挟むようにし菜っ葉畑の真ん中ぐらいまで歩いてきたとき、二人は無理矢理同女のズボンなどを脱がし、Vが同女を押し倒したが、その後すぐに、同女を挟むようにして同ハウスの南側に出るあぜ道に出て、同ハウスの南側の入口の方へやって来た。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付け供述調書(甲二四五)では、「VとYの二人は、被害者の女の人を畑の中で倒し、そのあと、Vらが同女を捕まえて同ハウスの南側に出るあぜ道に出て、同ハウスの南側の入口のほうへやって来た。」旨供述している。被告人の右各供述には、畑の中で歩いた場所、歩いた時の三人の位置関係、状況、同女を同ハウスに連れて来るまでの状況などにつき供述の変遷が認められるうえ、VとYの二人が被害者の女の人を挟むようにして歩いた旨の供述のとおりとすると、その歩いたあとの踏み跡は、少なくとも人間三人分の歩幅はあるはずだからその幅が五〇ないし六〇センチメートルよりもかなり大きくなると思われるのにその幅は、五〇ないし六〇センチメートルぐらいにすぎないのであるから、被告人の右供述は、その主要なところで変遷があるうえ、客観的事実に符合しない点もあるので、その真実性に疑問が残る。

(三) 本件ビニールハウスへの侵入状況について

被告人は、同ハウスへの侵入状況について、被告人の司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(一二枚綴りのもの、甲二三五)では、「皆で同ハウスの所まで行き、自分が同ハウスの東南部のところに元から破れて開いていた直径五〇センチメートルくらいの穴から足から中に入り、同ハウスの南東側付近にある戸を内側から開けて他の四人をその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する同日付け供述調書(一一枚綴りのもの、甲二三四)では、「自分は、同ハウスの中程から頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったのでまた右の穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開けた後皆がやって来たのでその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する二月二日付け供述調書(甲二三七)では、「自分は、同ハウスの東側中程のビニールを破り、そこから頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったのでまた右の穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開け、皆を呼びに行き、同ハウスの中に皆を入れた。」旨供述し、検察官に対する同月六日付け供述調書(甲二四四)では、「自分は、皆を連れて同ハウスへ行き、自分が同ハウスのビニールを破って中に入り、中から戸を開けて他の四人をその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する同月九日付け供述調書(甲二四一)及び検察官に対する同月一二日付け供述調書(甲二四五)では、「自分は、同ハウスの東南部にあたる東側の壁のビニールを破り、そこから頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったので同ハウスの北側の壁のビニールを破ってその穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開け、皆を呼びに行き、同ハウスの中に皆を入れた。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付け供述調書(甲二四三)では、「自分は、同ハウスの東南部にあたる東側の壁のビニールを破り、そこから中に入り、同ハウスの北側の壁のビニールを破ってその穴から外に出た。」旨供述している。

これらの供述をみると、同ハウスのビニールの破損部分及びその個数についての供述内容は、前後著しい変遷をみせている。すなわち、同職員に対する同月九日付け供述調書(甲二四一)以前は、同ハウス東側の穴の出入りの状況についてだけ述べていて北側の穴からの出入について何ら述べるところがないのに同日から後は同穴のほか同ハウス北側の穴の出入りについても供述しており極端にその内容が変遷しており、同調書には、そのように訂正(変遷)した理由につき「現場に案内して行った時、間違っていることに気付いた。」旨供述している。しかし被告人が右現場に警察官を案内して行った時には同ハウスのビニールの破損部分は、既に補修されていて、穴の痕跡は残っていなかったことが証拠上明らかであるから、何を根拠として訂正したのか理解し難く訂正した供述は不自然であるうえ、同日以降のものは、それ以前に行われた一月二二日の実況見分の当時の同ハウスのビニールの破損部分及びその個数と一致しているのであって、供述が変遷していること自体、被告人の供述が被告人の経験に基づく記憶によるものではなく、捜査官による強い誘導によってなされたことを強く推測させるものである。また、同ハウスの戸を開けた状況については、最初同ハウスの内側からであると言い、次いで同ハウスの外側からであると変わり、更に同ハウスの外側からであると二転三転と変遷しており、真実被告人が同ハウスの戸を開けたのであれば、かように記憶が変転するということは考えられないうえ、前記同職員作成の同月二九日付け実況見分調書(甲四)によれば、同月二二日の実況見分の当時、同ハウスの出入口の戸は、外から閂がかけられていて内側から開けられなかったことが認められるので、この点についても、右客観的状況に合わせるため捜査官によって誘導されたことを強く推測させる。さらに、被告人が同ハウスの出入口の戸を開けた際、同ハウスの所に他の四人がいたのか、それとも被告人が別の場所で待機していた他の四人を呼びに行ったものかという点、及び被告人が同ハウスに侵入するための穴が元々開いていたのかという点についても、その供述内容に変遷があり、その供述の変遷は、不自然というほかない。右のとおり、同ハウスへの侵入の状況だけでも通常考えられないような供述内容の変遷があり、かような変遷状況からみると、被告人が自己の経験に基づく記憶に従って捜査官に対して供述したものであるとは到底考えられないところである。

(四) 被害者がEの妻であることを被告人が認識した状況及び被害者の着衣の状況について

被告人は、被害者がEの妻であることを認識した状況及び同ハウスに入って来た前後の同女の着衣の状態につき、司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(一二枚綴りのもの、甲二三五)では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女は、ブラジャーを付けてオーバーを着ているだけで下半身裸の状態であった。その時に同女がEの嫁さんと気付いた。」旨供述し、同職員に対する同日付け供述調書(一一枚綴りのもの、甲二三四)では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、自分は奥のほうにいたため、その時の同女の様子は、はっきり分からなかったが、同ハウスの中で丸裸にされており、そのあと、自分は、最後に強姦していた際に被害者がEの嫁さんであると気付いた。」旨供述し、同職員に対する二月二日付け(甲二三七)及び検察官に対する同月六日付け(甲二四四)各供述調書では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であって上半身はオーバーを含めて服を着ていた。そのあと同女を立たせたままみんなでブラジャーや着ていた服を脱がせて全裸にした。そして、自分は、最後に強姦した後で被害者がEの嫁さんであると気付いた。」旨供述し、同職員に対する二月九日付け供述調書(甲二四一)では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であって上半身はオーバーを含めて服を着ていたが、それらのボタンは、皆外れていたようであった。そのあと、最後に強姦した後で被害者がEの嫁さんと気付いた。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付け(甲二四五)供述調書では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であったが、上半身には、ボタンをとめていなかったもののオーバーを着ていた。そのあと皆で同女を仰向けに倒し、着ていた服やブラジャーを上のほうにまくりあげた。

そして、自分は、最後に強姦した後立ち上がったときに被害者が上半身を起こして自分のほうを見たので被害者がEの嫁さんであると気付いた。」旨供述している。そこで、右各供述を検討するに、強姦している時及びその後の被害者の着衣の状況殊に強姦の際に丸裸にしたかどうかの点が同職員に対する同月九日付け供述調書(甲二四一)の前は丸裸であると述べ、同日以降は上半身は着衣をつけオーバーを着ていたと供述して、極端にその内容が変遷しており、同職員に対する同日付け(甲二四一)及び検察官に対する同月一六日付け(三枚綴りのもの、甲二四七)各供述調書では、そのように訂正(変遷)した理由につき「そのあと同女の着ていた着衣を脱がせたかどうかという点について、前の調書では、皆で同女を丸裸にしたと言っているが、それは上半身に着ていたものが前ボタンであって、それらが全部外れ、両側に開いていたため、上から見ると丸裸のように見えたからそのように言ったものである。」旨の供述をしているのであるが、同女の着ていたオーバーが赤色のものであって、オーバーを含めて上着の両袖に両腕を通しているのを通していないように見間違うことは無いはずであり、その変遷それ自体不自然であり、右九日以降のものは、前記一月二二日の実況見分の当時の同ハウス内で赤色のオーバーや上着(ブラジャーを含む)を着たまま死亡していた被害者の状況と一致しているのであって、そのような供述の変遷状況、変遷の内容は捜査官によって誘導がなされたことを強く推測させ、被告人がその経験に基づく記憶により供述したものであるとは到底考えられないところである。

そして、被告人が被害者をEの嫁さんと気付いた点についても、右のとおり、当初は、同ハウスに連れて来られた時、その後、被告人が被害者を強姦している時、さらに、被告人が被害者を姦淫した後と徐々に後にずれるようにその供述内容が変遷しており、同職員作成の「強姦殺人事件犯行日の月齢調査結果について復命」と題する書面(甲六五)によれば、確定判決で認定している本件の犯行時ころ、本件の犯行現場である同ハウスの内外では人の識別をなし得る程度の明るさであったことが認められるところ、被告人が同ハウスの中から外の様子をうかがっていたのであれば、その暗さに目が慣れ、人の識別が可能であったことが考えられるから、被告人が被害者をEの妻であることを知っていたのであれば被告人が被害者を見た初めのほうの段階でそのことに気付いたものと思われるのみならず、被告人は他の共犯者四人が次々被害者を姦淫する際終始被害者の腕を押さえていた旨供述しているから、このかなり長い時間に当然被害者がEの妻であることに気付いているはずである。被告人が自ら被害者を姦淫している時に初めてEの妻であることに気付いたとか、被害者を姦淫し終わって被害者が上半身を起こしたとき初めてEの妻であることに気付いたなどということはあり得ないのである。この点につき、被告人は、同職員に対する同月九日付け供述調書(甲二四一)で、「みんなや僕が姦淫している時、同女が顔を左右に振ったりしていたため、その顔がはっきり見えなかったが、その後で同女が上半身を起こして座ったようになったとき、はっきり分かった。」旨供述しているが、にわかに信用できない。

ところで、被告人は、確定審、控訴審、請求審及び当公判廷を通じて一貫して本件犯行当時まで被害者がEの嫁さんであることを知らなかった旨供述しているのであるが、被告人の控訴審での証言(甲一一一)並びにEの確定審第四回及び第五回各公判での証言(甲一七七、甲一七八)によれば、被害者が被告人の居住する所から歩いて二〇分くらいのところで居住するようになったのは、本件からわずか一か月前の昭和五三年一二月二二、二三日ころであったこと、被告人は、そのころないし本件の当時まで居住地と離れた泉佐野市にある魚屋に通勤しながら働いていたことが認められ、かような状況にあった被告人が、わずか一か月の間にEの妻であることが分かるような状況で面識を得る機会があったかどうかの点に疑問が残らないわけではない。この点について、被告人は、「同女が家の近所でEと一緒に歩いているところを二、三回見かけた。」旨を同職員に対する二月九日付け(甲二四一)及び検察官に対する同月一二日付け各供述調書(甲二四五)で供述しているが、たとえそのとおりであるとしてもそのような状況下でその程度会ったくらいでEの妻の顔まで記憶していたかどうか疑問が残るうえ、本件で被告人が被害者をEの妻であると気付いた時期に関する供述の変遷内容及びその過程に徴すると、かえって、公判廷で被告人が供述するとおり本件当時被害者をEの妻であるとまでは知らなかったのではないかという疑いも払拭し去ることができない。

かようにして、被告人の被害者に関する認識状況についての供述内容に変遷のあることは被告人の供述の真実性につき、重大な疑問を生ぜしめる。

(五) 被害者の殺害の契機及び殺害の状況について

被告人は、被害者の殺害の契機及び殺害の状況につき、被告人の司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(一二枚綴りのもの、甲二三五)では、「自分を除く四人が姦淫したあと、被害者が泣きながら『かんにんして、帰して』と言って立ち上がると、Vが『こいつ、殺してしまえ』と言いながら、同人がYと一緒に同女の首を絞めて殺した。」旨供述し、同職員に対する二月三日付け供述調書(甲二三八)では、「被告人が最後に姦淫したあと、起き上がった被害者を見るとEの嫁さんだったので、被害者を知っている旨Vに言ったところ、同人が、ばれるから殺してしまおうと言い、他の者もそれに同調し、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、自分も同女の左肩のほうからVの両手の上から押さえ込んで同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月六日付け供述調書(甲二四四)では、「自分が最後に姦淫したあと立ち上がって被害者を見ると、被害者がEの嫁さんだったので、被害者を知っていると皆に言ったところ、皆が被害者を殺せと口々に言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、自分も当初は同女の手を押さえていたが、途中から同女の左肩のほうからVの両手の上から押さえ込んで同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月一〇日付け供述調書(甲二四二)では、「自分が最後に姦淫したあと、被害者を知っているとVに言ったところ、同人が、このまま帰したらやばいから殺してしまおうと言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、Yも同女の頭のほうからVとともに両手で同女の首を絞め、更に自分もVの両手の上から同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付け供述調書(甲二四五)では、「自分が最後に姦淫したあと、起き上がって座っている被害者を見るとEの嫁さんだったので、被害者を知っていると皆に言ったところ、Vが『殺せ、殺せ』と言うと、皆も被害者を殺せと口々に言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、Yもその後すぐに同女の頭のほうからVとともに両手で同女の首を絞めた。さらに、自分も同女の左肩のほうからVの両手の上から同女の首を絞めた。」旨供述している。

これらの供述をみると、殺害の実行行為者の点については、当初、VとY、そして、Vと被告人、さらに、V、Y、被告人という風にその供述が変遷しており、被告人がその供述どおりにその場にいて同女の首を絞めるという異常事態を体験したのであれば、誰がその実行をしたのかは極めて強く印象に残っているはずであり、右のような変遷が生じるわけがないのである。そして、殺害の契機についても、当初は、その理由がはっきりしていないが、同職員に対する二月三日付け供述調書(甲二三八)以降は、被告人がVに被害者を知っていると言ったことから同人が殺せと言ったことが契機となっているのであるが、殺害という重大事の契機が当初はっきりせず、後になってはっきりするということは理解し難く、被告人が被害者をあらかじめ知っていたとしても犯行現場で被害者がEの妻であることを知った経緯、状況についての供述が前記のとおり重大な変遷があって納得しがたいところであるから、結局殺害の契機に関する被告人の捜査官に対する自白には重大な疑問がある。

(六) 結語

以上のとおり、被告人の捜査官に対する自白には、本件ビニールハウスのビニールの破損状況、同ハウスへの侵入状況、畑に残っていた痕跡、被害者の着衣の状況、本件犯行の姦淫行為、被害者に対する認識及びその状況、殺害の契機など枢要な点において客観的事実に符合しなかったり、その供述の変遷過程やその内容に看過し難い多数の疑問があり、被告人の自らの経験に基づく記憶により供述したものではなく、捜査官による長時間の追及を受け、創造や推測を交えてその場その場で捜査官の想定した状況に迎合する供述をしたためではないかという疑いを払拭できず、そうすると、被告人の自白は全体としてその真実性に重大な疑問が残るものというべきである。Eに対する自白についても、その内容からして捜査官に対するものと同様にその自白は全体としてその真実性に重大な疑問が残る。

四  V、Y、X、Wの各自白について

1  Vらの検察官に対する供述の要旨について

被告人以外の本件の共犯者とされたV、Y、X、Wの捜査段階におけるそれぞれの自白状況は判示第二の2ないし5に記載したとおりであるが、そのうち確定判決でその有罪認定の主要な基礎となったのは同人らの検察官に対する各自白(Vの二月六日付け〈甲一一五〉、同月一四日付け〈甲一一六〉、Yの同月五日付け〈甲一六八〉、同月一一日付け〈甲一六九〉、Xの同月六日付け〈甲一四九〉、同月一三日付け〈甲一五〇〉、同月一六日付け〈甲一五一〉、Wの同月六日付け〈甲一二九〉、同月一三日付け〈甲一三〇〉、同月一五日付け〈甲一三一〉)であり、そこで供述されている本件犯行の大要は、多少の食い違いはあるものの次のとおりである。すなわち、「Vに指示されて被告人、X、Wの三人が本件ハウスの中で待機していた際、同ハウスの東側にある市道上でVとYの両名が被害者を捕まえ、そして、同ハウスと右市道に挟まれた畑の中に引っ張りこみ、同所で同女を倒したうえズボンなどを脱がしてその下半身を裸にさせ、Vが同女にカッターナイフを突き付けるようにしながらVとYの両名が被害者を挟むようにして同ハウスの中に連れてきた。その後直ちに皆で、同女を押し倒し、V、Y、X、W、被告人の順番でそれぞれ姦淫し、その際全員が射精している。被告人が最後に姦淫したあと、同女のことを知っていると言ったことから、Vが同女を殺そうと言ったため、同女を殺すことになり、VとY両名が被害者の首を絞めて殺した。その後でVは、被告人に指示して同女の荷物を同ハウスの中まで持って来させ、Vがその荷物の中を調べ、その中から財布を取り出し、同人のポケットに入れていた。同荷物は、Vが被告人かYのいずれかに指示してその始末をさせている。」というものである。

2  Vらの自白には物的証拠が存在しないことについて

そこで、Vら四人の各自白につきその枢要な点の信用性を検討するが、まず、物的証拠についてみるに、Vら四人の各自白のとおりとすると、被告人ら五人が順次被害者を姦淫し、その際全員が射精したというのに同女の膣内に残された膣液と精液の混合液、同女の着ていたオーバーに残された精液ないし膣液と精液の混合液斑痕から非分泌型のXと同一の血液型を除く被告人らの血液型が検出されていないこと、また被害者の乳房に付着していた唾液からも同様Xと同一の血液型を除く被告人らの血液型が検出されていないこと、被告人ら五人は、本件の犯行現場である同ハウスの内外を歩いたりしているというのにもかかわらず同所で同人らの足跡痕が発見されていないこと、また、右四人の自白によれば、少なくとも、Vと被告人が被害者の荷物に触れたとされているのに被害者の荷物及び犯行の現場から被告人を含む五人の者に一致する指掌紋が発見されていないこと、さらに、第五の三の1の(二)で述べた畑に残る踏み跡の痕跡の幅や通路の状況も右四人の自白に符合しないことは被告人について述べたのと同様であって、これらの事実がVら四人の右自白の真実性について、重大な疑問を生ぜしめることは、被告人の自白について述べたのと同じである。

3  Vらの捜査官に対する各自白の信用性の個別的検討について

以上のとおり、確定判決に当たって、被告人の有罪認定の基礎となったVら四人の検察官に対する各供述調書の供述の真実性について重大な疑問があるのであるが、再審公判においては、Vら四人の司法警察職員に対する各供述調書も適法な証拠能力を得て公訴事実について認定の用に供し得ることとなったので、これらをも含めてその真実性について検討するに、前記2で述べたほか更に同人らの供述にはいずれも看過し難い疑問点が存在するといわざるを得ない。以下に、それぞれの供述について個別的に検討する。

(一) Vについて

(1) カッターナイフについて

Vが本件犯行に使用したというカッターナイフについて、Vは、司法警察職員に対する二月一日付け供述調書(甲一〇六)では、その大きさや形が記載された図面が添付されたうえ「それは、普通のそれに比べると少し大きめのもので、刃の長さは、約一〇センチメートル、刃の幅は、約一・三センチメートルで、その柄の部分が黄色のプラスチックでできていて、刃の部分を柄の中にしまいこむことができるものである。

それを自宅から持ち出したのは、本件の二日前である一月一九日のことであって、特に理由もなく、着ていた服のポケットに入れて本件の当時も持っていたが、事件のあとの一月二三日にそれがあった自宅の道具箱に戻した。」旨供述し、同職員に対する二月九日付け供述調書(甲一〇九)では、「本件の二日程前、自宅の道具箱の中から持ち出したもので、刃の長さが約一〇センチメートルで、その柄の部分が黄色のプラスチックでできているものである。」旨供述し、同職員に対する同月一〇日付け(甲一一〇)、同月一二日付け各供述調書(甲一一一)では、「Vの自宅から警察に押収されたカッターナイフを示され、私の記憶では、もう少し大きい目の物だったと思うが、形はこれと全く同じである。現物を見て前に図に書いたとき記憶違いをしていたことが分かった。私の家から出てきた物であれば、このナイフに違いないと思う。事件のあとの一月二三日にそれがあった自宅の道具箱に戻した。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付け(甲一一三)及び検察官に対する同月一七日付け各供述調書(甲一一七)では、Vの自宅から警察に押収されたカッターナイフを示され、「それが本件で被害者を脅かすときに使用したものである。」旨供述している。

ところで、右押収にかかるカッターナイフ(昭和六三年押七五号の1)は、司法警察職員作成の二月二日付け捜索差押調書(甲四六)によると、Vの供述した道具箱の中からではなく同人の自宅の六畳間の机の最上段の引出しの中から見つけられたものであるが、その大きさや形は、同人が右のとおり当初図面に書き、そして、供述していたものと明らかに相違している。すなわち、右カッターナイフは、一般の家庭によくあるようなごく普通のものであり、柄の長さは一二・四センチメートルで、柄の幅が最大で二センチメートル弱で、刃は折れ刃式でその全部を出しても五センチメートルに満たないものであり、柄はプラスチックではなく金属製で、その先端部分にわずかに黄色のプラスチックが付いているものであって、明らかに普通のものより少し大きめのものというものではない。Vが凶器として右カッターナイフを使用したものであれば、Vを含めて同人方で常用していたものであり、それを数日間にわたって着用していた服のポケットに入れていたところ、事件の二日後に道具箱に戻したというものであるから、その所在場所やその大きさ、形について右のように短期間の間にその記憶が薄れたり、変遷したりするものとは考え難い。

(2) その他

Vは、被害者の殺害に直接関与したものとして、司法警察職員に対する一月三〇日付け供述調書(甲一〇五)では、「V、Y、被告人」の三人を挙げていたが、その後の司法警察職員に対する各供述調書(二月三日付け〈甲一〇七〉、同月四日付け〈一〇八〉、同月九日付け〈甲一〇九〉、及び検察官に対する各供述調書(同月六日付け〈甲一一五〉、同月一四日付け〈甲一一六〉)では、「V、Y」の二人しか挙げず、被告人を除外している。そして、本件犯行場所の決定の際にVと被告人との間でもめたかどうかという点について、Vは、逮捕されその身柄を拘束された当初である同職員に対する一月三〇日付け(甲一〇五)、二月三日付け(甲一〇七)各供述調書では、「Vは、被告人から同ハウスを指示され、そこが道から入り込んでいて、付近に住宅が少なく畑ばかりで女を連れ込むのにええ場所と思い、そこですることになった。」旨供述しているのに、同職員に対する二月九日付け(甲一〇九)、同月一三日付け(甲一一二)、同月一五日付け(甲一一三)及び検察官に対する同月一四日付け(甲一一六)各供述調書では、「Vは、被告人から指示された同ハウスを、何や畑やないか、そんなとこでやったら服も汚れるし、他にええとこないのかと思い、場所のことで被告人ともめ、口喧嘩のようになり、被告人の味方をしたWに対しても怒った。」旨供述しているところである。この二点については、殺害の直接関与者の点について変遷が生じたのはVが丹念に自己の記憶をたどったためであり、犯行場所についてのVの供述は、初めの供述は最終的な犯行場所を決定した際の心情を供述したもので、あとの供述で犯行当時の状況を思い出す過程で犯行場所の決定に至る経緯を詳細に説明したもので両者は矛盾していないとは到底いえず、その供述は明らかに変遷しているものというべきであって、真実経験したのであれば、その記憶が変遷するとは考え難く、このような変遷を生じた理由について何等の説明もなされておらず、供述の変遷それ自体不合理でかつ不自然なものであり、これらに関する供述は、信用性が薄いといわざるを得ない。

以上の事実に前記四の2で記載した事情を併せると、Vの捜査段階における各供述はその枢要な点において、その真実性について多大な疑問点が残り、Vの検察官に対する各供述調書はもちろんのこと、司法警察職員に対する各供述調書全部についてもその真実性について多大の疑問が残るものといわなければならない。

(二) Yについて

(1) 被害者殺害の態様及びその直接関与者について

Yは、被害者殺害の態様及びその直接関与した者について、司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(甲一六〇)では、「誰かが被害者を知っていると言ったため、私は、殺してしまえと言って、同女に乗りかかり、両手で同女の首を絞めているとVも私の手の上から同じく首を絞めた。」旨供述し、同月二八日付けの検察官に対する弁解録取書(甲一五八)では、「同女の首を絞めた者は、V、私、被告人の三人である。」旨供述し、同職員に対する二月三日付け供述調書(甲一六二)では、「被告人が被害者を知っていると言ったため、自分とVの二人は、殺してしまえと言って、まず、自分が同人に乗りかかり、両手で同人の首を絞めているとVも自分の手の上から同じく首を絞めた。自分が手を放したあと、Vが被告人に絞めよと言ったため、被告人が同女の頭元に座って両手で同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月五日付け供述調書(甲一六八)では、「被告人が被害者を知っていると言ったが、Vがもう一度同女を強姦した後、殺せと言ったため、まず、自分が同女に乗りかかり、両手で同女の首を絞めているとVも同女の顔の右横に膝をついて自分の手の上から同じく首を絞めた。自分が手を放したあと、Vが被告人に絞めよと言ったため、被告人が同女の顔のそばに行って両手でVと一緒に同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月八日付け(甲一六四)及び検察官に対する同月一一日付け(甲一六九)各供述調書では、「被告人が被害者を知っていると言ったため、Vが殺せと言い、同人が同女に馬乗りになって両手で同女の首を絞め、その際お前らもやれとVが言ったため、自分もVの手の上から両手で同女の首を絞め、自分が手を放したあと被告人が自分がやったように同女の首を絞めた。」旨供述している。右供述だけでも被害者殺害の契機となった同女を知っていると言った者が被告人かどうか、同女の殺害に被告人が直接手を下したかどうか、VとYのいずれが同女に乗りかかってその首を絞めたのか、その順番及び態様という枢要な点について著しい変遷があり、真実経験したことであればかように供述が変遷するはずがなく、その都度変遷しているというのは疑問である。

(2) Vの姦淫の回数について

Yは、Vの姦淫の回数について、当初の司法警察職員に対する一月二七日付け供述調害(甲一六〇)では、「Vの姦淫は、一番初めの一回である。」旨供述し、その後の同職員に対する二月三日付け(甲一六二)及び検察官に対する同月五日付け(甲一六八)各供述調書では、「被告人が姦淫を終えたあと、Vが『俺もう一回出来る』と言ってもう一回姦淫した。」旨供述しているが、検察官に対する同月一五日付け供述調書(五枚綴りのもの、甲一七〇)では、それを訂正して、「Vは、一度姦淫しただけで、二回したように思ったのは、同人が『俺もう一回出来る』と言って、そのあとすぐに被害者の首を絞めるために同女の上に馬乗りしたためそのような気がしたことによる。」旨供述しているがVが再度姦淫出来ると言ってすぐ殺害にとりかかるというのは、不可解であり、同人が被害者の首を絞める際Yはすぐそばにいたうえに、殺害のために首を絞める行為と姦淫行為とはその態様及び性質を全く異にしているのであるから、両者を混同するということはないはずである。

(3) 姦淫の順番の取り決めについて

Yは、姦淫の順番の取り決めについて、一貫して、「Vが『俺が一番やぞ』と言い、同人の後の姦淫の順番をジャンケンで決めた。」旨(司法警察職員に対する二月二日付け〈甲一六一〉、同月八日付け〈本文三三枚綴りのもの、甲一六一〉、検察官に対する同月五日付け〈甲一六八〉、同月一一日付け〈甲一六九〉各供述調書)供述するのに対し、被告人とWは、「Vの後の姦淫の順番をジャンケンで決めたことはない。」旨(被告人の検察官に対する同月一二日付け〈甲二四五〉、Wの検察官に対する同月一三日付け〈甲一三〇〉各供述調書)供述しており、姦淫の順番をじゃんけんで決めるということは特異なことであるのに、姦淫の順番をじゃんけんで決めたかどうかについて姦淫した者の間でその記憶に相違が生じることは、通常あり得ず、その相違していることは不自然である。

以上の事実に前記四の2で記載したような事情を併せると、Yの捜査段階における各供述はその枢要な点において、その真実性について多大な疑問点が残り、検察官に対する各供述調書はもちろんのこと、司法警察職員に対する各供述調書全部についてもその真実性について多大の疑問が残るものといわなければならない。

もっとも、司法警察職員(角谷末勝)作成の一月二九日付け実況見分調書の抄本(甲四四)及び四方一郎作成の六月一九日付け鑑定書(甲四五)によれば、Yの右手背に二か所及び左手背に三か所の傷があり、その傷は本件の犯行日ころに受傷したものであこと、そして、その傷痕は、擦過作用によるものであって、その擦過面からすると、爪のような形状のものによって生じたものであることが認められる。四方一郎の確定審第六回公判での証言(甲九三)によると、同人は、同女の爪がある程度伸びていることを前提として、同女の爪などによって掻かれたことによっても生じることも可能である旨の証言をし、請求審における証言(甲九七)によると、同女の爪が非常に短くて採取することが困難な程度のものであっても、右のような傷が生じることも可能である旨の証言をしている。そうすると、Yの手の甲の傷は犯行の際に被害者に掻かれたことによって生じたものではないかとも考えられるところである。しかしながら、Yは、捜査段階で捜査官に対して被害者に掻かれてできた傷であると認めていたが、確定審の公判以後、それは、Wとの両手指を組み合わせた力比べをしたときに生じたものである旨供述し、面谷尚也及び横田信共同作成の検査処理表の謄本(甲四二)並びに横田信の控訴審第一二回公判での証言(甲九四)によると、同女の爪は、いずれもほとんど伸びておらず、はさみで採取することが困難なほど短かったこと、控訴審における検証調書(乙二一)によると、右手の甲の傷は、Yの両手甲のちょうどWの両手と互いに指を交差して手を組み合わせた場合のXの指の位置と同じに存在することが認められる。そして、Yには右手の甲に傷があるだけで身体の他の部位には傷は存在せず、また、他の共犯者の身体には傷は存在しないことから考えると、Yの手の甲の傷は、被害者に掻かれたことによって生じたものとは直ちに認めがたく、右傷の存在をもって、Yの自白の真実性を裏付けるものとはいえない。

(三) Xについて

(1) 被害者殺害の契機について

Xは、被害者を殺害する契機について司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(甲一四〇)では、「被害者がすごい勢いで抵抗したため、Vが『殺ってしまえ』と言って自ら同女の首を絞めた。」旨供述し、そして、同職員に対する二月三日付け供述調書(甲一四二)では、「被告人が姦淫している時に同女を知っていると言った。」旨の供述をしながら、それが同女殺害の契機となった旨の供述までしていないところ、同職員に対する同月四日付け(甲一四三)、検察官に対する同月六日付け(甲一四九)、同職員に対する同月一一日付け(甲一四六)、検察官に対する同月一三日付け(甲一五〇)各供述調書では、「被告人が姦淫している時か、それを終えたあとに同女を知っていると言ったことを契機として、Vが『殺ってしまえ』と言って、同人が同女の首を絞め、皆で殺害した。」旨供述しており、被害者を皆で殺害した契機となった理由について、右のような短期間の取調べの間に、抵抗されたためというものから犯行の発覚を防ぐためという格段の相違のあるものに変遷していることは、真実経験したことを述べたものと考えるには余りにも不自然である。

(2) 被害者の殺害状況について

Xは、被害者の首を絞めた者について、検察官に対する弁解録取書(甲一三八)、司法警察職員に対する一月二七日付け(甲一四〇)、二月三日付け(甲一四二)、検察官に対する同月六日付け(甲一四九)各供述調書では、「V一人が同女の首を絞めた。」旨供述しているが、同職員に対する二月一〇日付け供述調書(甲一四五)では、「VとYの両名が同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月一三日付け供述調書(甲一五〇)では、「Vが同女の首を絞めている時、怖くて下を向いたまま必死で同女の足を押さえていたため、Yが同女の首を絞めていたかどうか分からない。」旨供述し、検察官に対する同月一六日付け供述調書(二枚綴りのもの、甲一五一)では、「同女の首を絞めた者についてはVしかわからない。怖くて下を向いていたので他の者がどんなことをやったのかはわからない。」旨供述しており、誰がどのようにして首を絞めたかという極めて強く印象づけられる事実について右のような変遷が生じるのは不自然といわざるを得ない。

(3) 姦淫の順番等について

Xは、姦淫の順番について司法警察職員に対する一月二七日付け供述調書(甲一四〇)では、「一番目にV、二番目か三番目に自分、次にWとYで被告人が姦淫したかどうかわからない。」旨供述するのに対し、同職員に対する二月三日付け(甲一四二)、同月九日付け(甲一四四)、検察官に対する同月六日付け(甲一四九)各供述調書では、「一番のV以外の四人の姦淫の順番は、あらかじめジャンケンで決め、それに従って、V、Y、自分、W、被告人が姦淫した。」旨供述しており、また、犯行現場近くの二色浜駅に皆で行った時刻についても、同職員に対する一月二七日付け(甲一四〇)では、「午後八時ころ二色浜駅に着き、その後本件ハウスに皆で入り、道路まで出て女の人が通るのを皆で交代で見張った。」旨供述するのに対し、同職員に対する二月三日付け(甲一四二)、同月九日付け(甲一四四)各供述調書には、「二色浜駅に着いた時刻は、はっきりしないが、午後一一時ころであって、VとYの二人が強姦する女の人を探しに行き、他の三人は本件ハウスの中で待機していた。」旨供述し、いずれの場合もかように供述が変遷しているのは不自然であって、同供述の真実性について強い疑問を生じる。

以上のような事実に前記四の2で記載したような事情を併せると、Xの捜査段階における各供述は、その枢要な点において、その真実性について、多大な疑問が残り、Xの検察官に対する各供述調書のみならず、司法警察職員に対する各供述調書全部についても、その真実性について、多大の疑問が残るものである。

(四) Wについて

(1) 被害者殺害の状況について

Wは、被害者殺害の状況について、司法警察職員に対する一月二七日付け(甲一二三)供述調書では、「VとYの両名がいきなり被害者の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する二月六日付け(甲一二九)供述調書では、「Vが同女の胸の上でまたぐようにして、両手で同女の首を絞め、その結果、同女の身体の力が抜け、死んだと思ったあと、Vに替わってYが同女の胸の上でまたぐようにして、同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月九日付け(甲一二五)、検察官に対する同月一三日付け(甲一三〇)各供述調書では、「Vが同女の胸の上でまたぐようにして、両手で同女の首を絞めたが、V一人では、絞め切れなかったため、YがVと一緒になって同女の首を絞めたため、同女の身体の力が抜け、死んだと思った。」旨各供述しており、誰がどのようにして被害者の首を絞めたかという極めて強く印象付けられる点についてその供述内容が変遷しているのは不自然というほかない。

(2) 姦淫の順番について

Wは、姦淫の順番について司法警察職員に対する弁解録取書(甲一二〇)、同職員に対する一月二七日付け(甲一二三)、検察官に対する二月六日付け(甲一二九)各供述調書では、各人の姦淫の状況を供述することもなく、「V、Y、自分、X、被告人の順に姦淫した。」旨供述するにすぎないが、同職員に対する同月九日付け供述調書(甲一二五)では、各人の姦淫の状況をかなり具体的に供述したうえ、「V、Y、X、私、被告人の順に姦淫した。」旨供述し、W自身の姦淫の順番を異にして供述しており、目の前で行なわれている輪姦事件において自分が誰の次に姦淫したのか忘れるはずがなく、この点についても、右のとおり変遷しているのは不自然である。

(3) 被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況について

Wは、被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況について、司法警察職員に対する一月二七日付け(甲一二三)供述調書では、「VとYの両名が同女を横の田んぼに連れ込み、裸にさせ、すぐ近くの同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、検察官に対する二月六日付け供述調書(甲一二九)では、「同女が逃げたので、五人皆で同女を追い掛け、畑の中で捕まえ、そこで同女のパンタロンやパンティを脱がして悪戯し、その後皆で同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、同職員に対する同月九日付け供述調書(甲一二五)では、「VとYの両名が同女を畑に連れ込んだあと、そこで右三名がもみあいとなり、それを見ていて自分も加勢しようと思ったが、Vに怒られると思って同ハウスの中から見ていると、VとYの両名が同女を挟むようにしてあぜ道に上がり、同ハウスに連れて来たので、自分は、あぜ道の途中まで迎えに出た。」旨供述し、検察官に対する同月一三日付け(甲一三〇)供述調書では、「同女がVとYの両名に同ハウスの方に引っ張られて来られた際、畑の中に逃げたので、同女を捕まえるため、自分は、同ハウスを飛び出して行ったところ、VとYが同女を捕まえ、Vらがそこですぐに、同女のズボンやパンティを脱がしたが、その時自分も同女の陰部を触った。Vらは、そこで姦淫することなく同女を同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付け供述調書(甲一二七)では、押収されているパンタロンを示されて、「それは、畑の中で、V、Yと同女の三名がもめているとき、自分が加勢して同畑の中で脱がしたものに間違いない。」旨供述していたが、最終的に、検察官に対する同月一五日付け(甲一三一)供述調書では、「今日現場に行って考えてみると、同女が逃げた時、自分は、畑の中まで行っていないような気がするうえ、同女の陰部に触れたのは、Vらが同女を同ハウスに連れて来た時のように思う。」旨供述するに至っている。被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況、特に、W自身がそれにかかわった状況について、その供述が大きく変遷しているが、真実経験していないことを供述しているのではないかという疑問を払拭することができない。

以上のような事実に前記四の2で記載した事情を併せると、Wの捜査段階における各供述は、その枢要な点において、その真実性について、多大な疑問が残り、Wの検察官に対する各供述調書のみならず、司法警察職員に対する各供述調書全部についても、その真実性について、多大の疑問が残るものといわなければならない。

第六結論

以上検討してきたように、被告人が犯人であることをうかがわせる証拠としては、被告人の捜査官及びEに対する自白、被告人の自白を内容とするEの捜査官に対する供述及び同人の証言並びに共犯者のV、Y、W及びXの各捜査官に対する自白があるものの、物的証拠は存在せず、そして、右被告人の捜査官及びEに対する自白供述は任意性に疑いがあるうえ、捜査官に対する自白には著しい変転などがあって到底その信用性を肯定することができず、したがって、被告人の自白を内容とする右Eの捜査官に対する供述及び同人の証言もその信用性を肯定することができない。また、Vら共犯者の右各自白も当該供述者自身のみならず他の供述者相互の間に著しい変転、食い違いが存在し到底その信用性を肯定することができない。

そうすると、被告人が犯人であることを認めるべき証拠は皆無であり、本件公訴事実について犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小河巌 裁判官 江藤正也 森脇淳一)

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